自分の中に「アイ」はあるか。

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2年程前に買ったまま読まなかったこちらの本、

自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間"を捨てられるか (青春文庫)

 

兼ねてからいろんなところでオススメの本としては見ていたのですが、

初めの数ページで離脱してしまったきりでした。

 

ふと最近見つけて読んだ感想を忘備録として。

 

 

印象に残っているのはここ。

 

本の目次より

"相手の中から引き出す自分 それが愛ー本当の相手をつかむ愛しかた愛されかた"

 

この部分が「岡本太郎」を1番感じるし、

ツイッターやインスタから溢れ出る、愛や恋に迷う人達にぜひ読んでほしい。

 

いくつか引用していきます。

 

自分には足りないものがあるが、何がそれを埋めるのか分からない。

 

これは皆、痛いほど分かっていて経験もされているはず。

それでも「もしかしたら、」「次に付き合う人は・・」を繰り返して人は

自分が描く未来像に近づけようとします。

 

ぼくもかつて好きだった子がギターに詳しいと知れば、駅前の楽器屋で

赤と白のテレキャスを買い練習し、バレーが好きだと聞けば入る気もないのに

見学に行き、お菓子が好きだといえばこっそり持っていくような中学生でした。

 

あれは紛れもない黒歴史ですが、

歳を重ねて今「めっちゃ恥ずかしいけどやってよかった」と思うぐらいには

遠くに来たような気持ちで思い返すことができます。

 

 

ここで使われるとは驚きでしょうが

”未来を見て、点を結ぶことはできない。過去を振り返って点を結ぶだけだ。

だから、いつかどうにかして点は結ばれると 信じなければならない”

Appleを作ったスティーブ・ジョブズの言葉です。

 

あの時の僕等は

今よりも白くまっすぐで、付き合う、付き合わないの考えもなく

ただ自分が好きだからの理由で行動できました。

 

あの点が繋がることがなかったのは

そもそも結ばれる発想が幼い僕にはなかったからでしょう。

 

 

今となっては

「愛してる」と「好き」の攻撃力の違いや、使うMPの量、

ボス戦で使うのか、レベル上げに使うのかが、ある程度わかるとこまで

遠い未来に来てしまいました。

 

愛してるという場面が本当にあるなんてあの頃の自分には想像もできなかったYo

 

 

僕らは皆、それらの言葉を「確約」として儀式を行います。

一緒にいるためだったり、友達に恋人として紹介するためや、

インスタに#couple#sea#dayoff とあげるために。

 

好きだから一緒にいるのに、言葉でも求めるのはなぜでしょう。

  

好きと「書く」こと、形に残すことよりも、好きと「言う」ことが

一緒にいる、付き合う上で上位に来るというのは不思議で。

 

やはり、自分には足りないものがあるが、何がそれを埋めるのか分からない。

それを埋めるには隣にいるという行動では埋まらないのかもしれない。

  

それだけ言葉というのは

大事に付き合っていかなければならないと、こじらせ気味の24歳は思うのであります。

 

 

最後のツイートが1番のお気に入りなのでもう一度。

 

これだよこれ。ってひとりで何度もうなづきました。

 

他人同士を繋ぐのは愛情だけで、それがなきゃ終わり。

 

その気持ちがあるから、連絡ないか気にしたり、熱があるってなれば看病したり、

まだ帰ってこないけど事故じゃないよね?とかあれもこれも心配になったりする。

 

こういうのは言葉にはならなかったりするけど

そのぶん行動に出たりするからやはり言葉<行動派です。

 

皆さんはどちらでしょうか。